水災害とその対策  2020年8月5日  泉 満明

 この数年毎年の様に河川の災害が100年に1度と言われている規模で発生している。河川以外に水による台風時に発生する高潮の災害も稀な現象と思われているが自然変異(ナチュラル・フラクチュエイション)と考えれば悪い期間は何時かは廻って来るのは自然の鉄則であると覚悟をして良い期間に十分な備えをしておかなければならない。災害に対し国の基本的責任としてその対策に政府が動かなければならないので当面の災害に対する処理は一応行っているが、現在の日本の政治家の多くは次回の選挙の事、ポピュリズムに押されて目先の政務に追われ、防災に対する長期の具体的で有効な政策は全く持っていないのは誠に遺憾なことである。

 ここで注意しておかなければならない事は、最近の様に人類は自分たちが発達させて来た技術力で自然を制御できると思い上がりがあり、その力が自然の力に及ばないことに気づいていないことでる。さらに人類の文明が進めば進むほど自然の力による災害はその激しさを増すという事実がある。

  人類が未開の段階にあったときに、自然の強固な洞窟などに住まっていたとすれば、地震、台風、洪水などの自然の脅威には畏れていたが、災害を受けても人間が失う手持ちの財産と言えるものはほとんどないし、時代が進んで掘っ建て小屋程度のものであれば災害で壊れても危険は少ないし、復旧は簡単容易であったろう。これらの時代には人類は自然に従順であったろうし、自然に逆らうような考えは殆どなかったであろう。これらの災害に耐えられるような場所に神社、寺院、集落を建設、保存し、災害に耐える生活様式を守ってきた。先祖は過去の災害の記録を自然の石などに印して災害の予防を後世に残したものは多く知られているが、最近はこのことを忘れて災害で危険な場所に住み着いているので被害が大きくなる傾向があり、われわれを襲う災害の歴史と先人の記録を研究して減災の方向に進むべきであろう。

 文明が進むと共に人類は次第に自然を征服しようとする野心が生じた。例えば河川の洪水対策、改修としてダム、堤防、水門などで河川を制御すると、洪水時に急激な河川の水位上昇などで制御不能となり水の強大なエネルギーにより災害を大きくして多くの構造物の破壊、多数の人命の喪失が発生する。このことは、一見防災をしているようであるが、一端災害が発生するとその規模を増大させるような方向に人間は努力している面もあろうかとおもわれる。

 河川による災害については、人口が増加するとともに昔は人が住まっていなかった土地を開発して集落を作るのであるが、その土地は大雨などが降るとたちまち災害をうけることになる。文明が進むにつれて災害による被害規模が増大し、復旧に多大の費用がかかる。その段階でどのように復興するかを十分に検討すべきである。構造物の復旧は現状の回復として十分であり、より強化したとしても費用がかさむだけで意味のないことになろう。人間に対する減災を主体として考えるならば、前と同じ場所に多少改良補強してた家を復旧しても同じような災害を受けることになろし従ってあまり意味がない。この場合には、全国的に災害が予想される地区は復興事業として発想の転換をして町、部落全体の住居を5階建てのRC構造としてマンション形式に集約して、1~2階は店舗、倉庫、駐車場類の場所として屋上には貯水槽、燃料タンク、蓄電池、太陽光、風力発電装置等、住居は3~5階、従来の一戸建ての生活と異なったものとする。当初は異なった生活環境、人間関係で問題が起きるであろうが、これも慣れの問題で時間が解決することになろう。現在の技術力を活用して災害に強いインフラを建設して災害時に1週間くらいは救助無しでも生活を送ることが出来るシステムにすることが必要であろう。住居が移転された土地は農地、牧草地さらに森林公園などに活用することにする。以上は一つの案であるが、思い切った発想の転換をして復興費用を有効活用することが必要な時期に来ているのでないであろうか。

 高潮対策としては河川の河口付近の沖積地帯にもんだいがあり、日本の大都市の多くはこの地帯に存在している。この地域の地盤高さは水面以下のところも多く高潮に対する対策が必要である。。

 最後に心配なことは、毎年各種の災害復興のために莫大な費用を支出しているが、これらの費用の支出が日本の経済力を弱め、国力の衰退を確実に進めることである。